エンターテインメント業界では、俳優たちがそれぞれ異なる演技スタイルを採用しています。いわゆる「プレゼンテーショナル」な俳優は、役柄と自分自身を切り離すタイプです。彼らは演技技術を駆使して説得力あるキャラクターを演じますが、パフォーマンスが終われば役から離れることができます。
一方「エクスペリエンシャル」な俳優は極端なまでに役になりきります。精神的・感情的にも役と一体化し、演技の不自然さを排除する代わりに、役から抜け出せなくなるというリスクを伴います。

3つ目のアプローチが有名な「メソッド演技」です。これはエクスペリエンシャル演技を洗練させたもので、個人的な「感情記憶」を活用して感情を引き出します。例えば悲嘆を演じる際、実際の喪失経験がなくても類似の感情体験を引き合いに出せるのです。
これらはあくまで分類のための枠組みで、実際の境界線は曖昧です。クリスチャン・ベイルのように役作りのために数十キロの増減量を繰り返しても、バットマン役で本当に「変身」できたかは議論の余地があります。
ハリウッドを支配したメソッド演技

数十年にわたり、マーロン・ブランド、アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロら伝説的俳優から、マシュー・マコノヒー、キリアン・マーフィー、アンドリュー・ガーフィールドまで、ハリウッドのトップスターたちがメソッド演技を実践してきました。
しかし近年、役作りのための奇行が過激化し、撮影終了後も役から抜け出せない事例が増え、メソッド演技への批判が高まっています。
メソッド演技の「狂気」の起源

初期のメソッド演技派は「プロ意識」と称賛されました。ロバート・デ・ニーロが『タクシードライバー』の役作りのためニューヨークで実際にタクシー運転手をしたように、アル・パチーノも『セント・オブ・ウーマン』で盲目の役作りのため視覚障害者を演じ続けました。
しかしダニエル・デイ-ルイスは1989年『マイ・レフトフット』で脳性麻痺の作家を演じる際、車椅子生活を強要しスタッフに介護させ食事も役になりきって摂るなど、その過激な手法が物議を醸しました。
この映画でデイ=ルイスは数々の栄誉を獲得し、メソッド演技への献身で知られるようになった。しかし彼の没頭はそれだけではなかった。モヒカン族を演じる際には撮影期間中ずっとライフルを携行し、受刑者役では実際に刑務所で生活し、スタッフに冷水を浴びせられたり暴言を吐かれることを要求した。
デイ=ルイス以降、多くの俳優がこれに追随し、撮影現場では奇妙な行動が横行し、周囲に迷惑をかける事態が発生するようになった。
ジム・キャリーの過激なメソッド演技

1999年、ジム・キャリーは『マン・オン・ザ・ムーン』の撮影中にメソッド演技を新次元へ引き上げた。4ヶ月間の撮影期間中、スタッフに役名の「アンディ」(アンディ・カウフマン)で呼ぶよう要求し、監督が協力を求めてもキャラクターから離れることを拒否した。
後年キャリー自身がこの行為を過剰だったと認めた。批判的な発言をしたマーティン・フリーマンはインタビューで「これほど自己中心的で、利己的で、ナルシシズムに満ちた行為を見たことがない。まったくプロフェッショナルじゃない。他の誰かがこんなことをしたら? すぐに拘束され、解雇されるだろう」と語った。

メソッド演技の弊害

2006年にはメリル・ストリープがこの流れを継承した。『プラダを着た悪魔』撮影中、冷酷な上司役を演じたストリープはキャラクターを維持するため休憩中も共演者と交流せず、『エンターテインメント・ウィークリー』のインタビューで「惨めだった。他の役者たちの笑い声が聞こえるのに一緒にいられなかった」と孤独を告白している。
この経験からストリープは二度とメソッド演技を採用しないと宣言した。
ヒース・レジャーの悲劇的事例
メソッド演技が招いた最も痛ましい例がヒース・レジャーの『ダークナイト』におけるジョーカー役だ。レジャーは数週間自室に籠もってジョーカーの心理を研究し、詳細な日記まで作成した。しかし過度の感情的な負担が重度の不眠症を引き起こし、睡眠薬に依存するようになった。撮影終了後まもなく、レジャーは誤服薬で悲劇的な死を迎えた。
近年の事例:境界線
2016年、『スーサイド・スクワッド』でジョーカーを演じたジャレッド・レトもキャラクターに没頭するため過激な方法を採用。共演者に死んだネズミ(マーゴット・ロビーへ)、弾丸(ウィル・スミスへ)、粘着質なプレイボーイ誌(スタッフ全体へ)など奇妙な贈り物を送ったと報じられました。レトは後にこれらの行為を認めつつ「ジョーカーは境界線を無視する存在」と正当化。批判を受けても主張を貫きましたが、死んだネズミ送付についてはロビー宛てではなかったと後日釈明しています。

高まるメソッド演技への不満
こうした過激な事例がきっかけで、多くの俳優がメソッド演技と距離を置くようになりました。2022年に『GQ』誌のインタビューで『ハンニバル』のマッズ・ミケルセンはメソッド演技への嫌悪感を表明。「ナンセンスだ。もし映画が失敗したら何を達成したのか?『キャラクターに留まり続けた』わけではない―最初から離れるべきだった」と批判しました。

同様に『トワイライト』シリーズのロバート・パティンソンも「メソッド演技」が悪役を演じる時だけ適用されるように思えると指摘。「善良なキャラクターを演じる時、誰も『メソッド演技』について語らない。誰も善人を演じながらキャラクターに留まり続けたりしない」とコメントしています。

結論
役作りのための献身は称賛に値する一方、メソッド演技の過激化は倫理的問題を引き起こし撮影現場に混乱をもたらします。共演者へ死んだ動物を送る行為からキャラクターに入り込むための法線侵犯まで、「メソッド演技」の真の代償は、芸術の名の下に払われる犠牲に見合わない場合もあるのです。