エレン・グリーンバーグの不可解な事件
背中に10か所を含む20か所の刺し傷を負った女性の死――警察は自殺と断定?
荒唐無稽な犯罪ドラマのプロットのように聞こえるが、これは実話だ。あなたを言葉を失わせるアメリカの事件である。
事件は2011年1月に発生した。犠牲者エレン・グリーンバーグは、同棲中の婚約者によってアパートで発見された。27歳の若さだった。

(エレン)
衝撃的な発見
エレンの死体は正視に耐えない状態だった。
腹部の打撲傷1か所、右膝上の3か所、右太ももの3か所、右脇の下の大きな暗紫色の打撲傷、右前腕の3か所――全身にわたる傷痕が確認された。
これらの傷は治癒段階が異なり、死の数週間前から継続的に負った外傷であることを示していた。
刺し傷と自殺の矛盾
打撲傷以上に不自然だったのは刺し傷だ。検視官は合計20か所を確認。胸筋を貫通して肝臓を刺した傷、大動脈を切断した傷、硬膜を貫いて脊髄を損傷した傷――致命傷だけでも複数存在した。
10か所が胸腹部に、残り10か所が首と後頭部に集中。凶器の包丁は心臓に突き立てられたまま発見された。

(事件の凶器)
他殺から自殺へ:不可解な結論変更
死亡翌日、オズボーン検視官は当初「他殺」との結論を出していた。
しかし警察の示唆を受けるや、エレンの両親や友人、ネットユーザーを困惑させる判断を下す。検視官は「自殺」との最終結論を発表したのだ。
自殺説の根拠
当局が提示した自殺説の根拠はこうだ。
事件現場は治安の良い閑静な住宅街。アパートへの侵入経路はバルコニーか玄関のみ。しかし当日は大雪でバルコニーに足跡なし――残るは玄関のみ。
玄関ドアは内側から施錠されていた。婚約者と管理人による強行突破で初めて室内に入れたという警察報告が決め手となった。

(エレンのアパート)
玄関からの侵入は可能か?
警察の論理はこう整理される。室内にエレンだけ。内側から施錠。乱入の痕跡なし。異常なし――故に自殺。
やはり現実は推理小説とは違う。密室殺人はそうそうあるものではない。

(エレンのアパート玄関の写真)
精神状態
警察はエレンの精神状態が極度に不安定だったとも述べた。
エレンは死前に仕事のストレスに苛まれ、写真に写るのを嫌がり、引っ越したいと言いながら理由を明かさず、心理カウンセラーを受診していた。医師は適応障害と不安障害と診断。母親はエレンが何かを隠していると感じていた。
死亡当日朝、エレンは最後の電話で父親に「愛してる」と別れの挨拶をしていた。
これだけの証拠があれば自殺と判断するのに十分ではなかったのか?

(両親と写るエレン)
不可解な証拠
では血痕や傷跡、打撲痕はどう説明するのか?
警察は「現実は推理小説より奇妙」と反論。過去に鈍器で殴られ血だらけで死亡した男性の遺体を発見し、当初は殺人と判断した事例を引き合いに出した。
しかし防犯カメラ映像により、男性が転倒して負傷し死亡したことが判明。犯人はおらず、不可解な事故だった。
エレン事件も同様で、自殺中に何かが起きて奇怪な現場が生まれたのかもしれない…事件解決。

(近隣の湖に映るエレンのアパート)
両親の戦い
こうして2011年、当局は結論を下した。しかしエレンの両親は自殺説を信じず、娘の死の真相を探る戦いを決意する。
その後10年間で70万ドル以上を投じ、法医学者に現場写真と検視結果の分析を依頼。犯罪現場鑑識官を雇い調査させ、警察OBと協力して潜在的な証人を探した。
法廷闘争
2件の訴訟を提起。1件は自殺判定の変更を求めるもの、もう1件は地元警察が殺人を隠蔽したとする告発だった。訴えられたのは地元警察署、検視官室、地方検事局、ペンシルベニア州司法長官室までも含まれた。
ちなみに当時の司法長官ジョシュ・シャピロは、バイデンが不出馬を表明後ハリス副大統領の副大統領候補最有力と目されていたが、この事件が影響し最終的に選ばれなかったとされる。

(ペンシルベニア州元司法長官ジョシュ・シャピロ)
<h3 class="夫婦の粘り強さが実を結んだ。2023年、地元の下級裁判所はエレンの死に関する公式調査に重大な欠陥があると判断した。数ヶ月前、ペンシルベニア上級裁判所は両親がエレンの死の調査再開を求めた上訴を認めた。
両親が収集した証拠を提出した時、人々は初めてこの事件の背後に真の謎が潜んでいる可能性に気付いた。
複雑な事件
エレンの両親が雇った専門家はウェイン・ロスという法医学者だった。13,000件以上の解剖を手掛けた彼は、当初の検死官の所見に異議を唱えた。
ロスの発見
10年前の検死報告書には「防御創(刃物で襲われた際に抵抗して腕にできる傷)がない」ことが自殺の根拠とされていた。ウェインは「エレンが刺される前に意識を失っていた場合、手で身を守ることができず防御創ができない」と指摘した。
意識を失った原因としてウェインが注目したのは首のあざだった。彼は「誰かが絞めつけた痕跡」だと主張した。

(エレンの首のあざ)
このあざは10年前の検死報告書に記載されていなかった。オズボーン検死官は「絞殺の痕跡はない」と主張し、舌骨の骨折や顔面の出血兆候が認められない点を根拠に挙げた。
不自然な現場
もうひとつの争点は現場の状況だった。
キッチンの床に座り食器棚にもたれかかるエレンの左手には、ほとんど血の付いていない白いタオルが握られていた。

(現場写真)
ウェインは「鼻から耳にかけて水平に伸びる乾いた血流の痕跡が不自然」と指摘。座った姿勢では血流は下方に流れるはずで、このような痕跡が残るには長時間横たわっている必要があると説明した。
さらに左手付近に血溜まりがあるのにタオルが清潔な点も矛盾していた。
物的証拠
床に散乱した髪の毛について、ウェインは「絞められる時や刺される時、犯人が髪を掴むことでこのような状態になる」と説明した。
最後に、3Dモデリング会社が作成した刺創の分析結果。警察がナイフから検出したのはエレンのDNAだけだったが、モデルはこれほどの数の傷を自分で負うことがいかに困難かを明らかにした。

(エレンの刺創の3Dモデル)
エレンと体格が似た女性警官が自傷行為を再現しようとしたが、実際には不可能であることが確認された。
覚えておいてほしいのは、エレンの左手には傷がなかったということだ。彼女は右手だけで前後20回も自分を刺した。そんなことが可能だろうか?

(首の後ろにある2つの刺し傷。右手だけでは非常に届きにくい位置)
内部の犯行?
しかし警察は、他に誰も部屋に入っていないと主張している。では犯人はどうやって出たのか?
ここで新たな問題が浮上する——警察の調査結果に矛盾がある!
先述の通りオズボーン博士は警察から「当日アパートの警備員がエレンの彼氏を部屋まで同行した」との情報を得ていた。しかし実際には、その警備員は「当日は同行していない」とする申告書を提出していた。
博士が嘘をついていないとすれば、警察が自殺に見せるために意図的に虚偽情報を流したことになる。
さらに、隣人は確かに彼氏のドアを叩く音を聞いている。管理人の証言によれば、エレンが自分でドアをロックしていなかった可能性がある。この建物は構造が悪く、強く閉めると緩んだボルトが自動的にロックする仕組みだった。
彼女自身、誤って鍵を閉め出された経験がある。高齢の住民は皆このことを知っていた。

(アパートのドア)
エレンが自殺するはずがない
両親や友人らは一貫して「エレンが自殺するはずがない」と証言している。彼女は精神的な問題を自覚しながらも積極的に治療を求め、仕事を辞めて実家で療養する決断をしていた。両親も喜んで受け入れる姿勢を見せていた。
警察によれば、エレンのパソコンから「痛くない自殺方法」の検索履歴が見つかったという。しかしFBIが再調査したところ、自殺関連の検索記録は一切確認されなかった。
ここで新たな疑問が生じる——「痛くない自殺」の検索履歴はどこへ消えたのか?仮に自殺するにしても、なぜ20回以上も自分を刺すという手段を選んだのか?

(生前のエレンの写真)
婚約者と主要容疑者
事件後、メディアが取材した9人の関係者全員が自殺説を否定する中、ただ一人だけがエレンの自殺を確信していた——遺体を最初に発見した婚約者のサム・ゴールドバーグである。

(エレンとサムの写真)
サムは遺体発見者であり、通常なら最も嫌疑をかけられる立場だ。しかし彼は一切起訴されなかった。
エ
しかし、後に人々はサムがそれほど単純ではないことに気づいた。サムとエレンはかつて結婚を予定していた。2011年8月に結婚式を挙げる予定だった。しかしエレンの友人たちは、エレンがサムを愛しておらず、彼を恐れていることに気付いた。
友人たちによると、エレンは結婚式が近づくにつれサムへの敬意を強めていった。計画を立てる際、エレンはサムの意見を求めなければならなかった。子犬のようにサムの後を追いかけ回し、かつての自信に満ちた自立した女性の面影は消えていた。
エレンのあざはサムによる長期的な家庭内暴力の結果と思われる。当時心理学者が虐待について尋ねたが、エレンは言葉や身体的な衝突を否定。サムを「称賛」することしかできなかった。

(エレンとサムと友人たち)
サムのストーリー
エレンの死亡当日、サムの行動も不可解だった。発見前のテキストメッセージによると、サムはアパートから締め出されていた。当時サムが送信した内容は以下の通り:
「おい」「ドア開けろ」「何してる?」「腹立ってる」「言い訳があるんだろうな」「一体何やってんだ!」「終わったな」
30分後、サムは911に通報。アパートに入った直後に婚約者が自殺し血だらけになっているのを発見したと述べた。
サムはパニック状態に見えた。オペレーターが4回も胸の動きを確認するよう指示したが、サムは動きがないと回答。しかしエレンの背中に刺さったナイフが胸から突き出ていたのに、サムはそのことを伝えなかった。
2分後、人工呼吸をするよう指示され、ようやくナイフの存在に気付いた様子だった。

(エレンとサムの写真)
現在サムを尋問している捜査官は、通報時にサムが全く恐怖を感じていなかった理由が理解できないと述べる。
エレンの状態は明らかに他殺を示していたが、サムはエレンが殺された可能性や犯人が潜伏している可能性を一切考慮しなかった。「すぐに考えなくても、普通は考えるはずだ。アパートを捜索したか?安全確認は?」
しかし当時の担当警官はこれらの疑問を抱かず、サムは何の取り調べも受けずに解放された。
3年後、サムは不動産仲介業者の裕福な娘と結婚した。
10年にわたる疑念
10年以上にわたり、エレンの両親の調査で新たな疑問が浮上。解明されない謎は巨石のように両親の心を圧し続けた。
時が過ぎた今、裁判所が両親の上訴を認可。事件の再調査が開始されようとしている。最終結論は未だ不明だが、あの日の真実が明らかになることを願うしかない。