日本料理といえば、寿司や刺身、ラーメンを連想する人が多いでしょう。しかし、実は日本人に最も愛されている料理の一つがカレーライスです。統計によると、日本人は平均して月に少なくとも4回はカレーを食べており、寿司やうな丼よりも人気を集めています。
カレーと聞くとインドを連想しがちですが、日本のカレーはインド料理とはほとんど関係がありません。19世紀後半、イギリス人によって西洋料理の一部として日本にもたらされたのです。では、どうしてカレーは日本の国民食となったのでしょうか?その興味深い歴史を探ってみましょう。

カレー上陸:近代化のシンボルとして
英国から日本へ:明治時代の変容
明治維新期(1868~1912年)、日本は急速な近代化を遂げ、食文化を含む西洋の習慣を積極的に取り入れました。植民地支配下でインドカレーの影響を受けた英国海軍将校たちが、この料理を日本に伝えました。ただし、英国式カレーはすでに欧州の味覚に合わせて改良されており、伝統的なインドカレーよりマイルドでとろみのある仕上がりになっていました。

当時、西洋料理は進歩と洗練の象徴と見なされていました。文豪・夏目漱石の著作を含む当時の新聞や書籍では、カレーを「インド料理」ではなく「西洋料理」として紹介するケースが多く見られました。

海軍によるカレー普及
カレー普及に最も大きな影響を与えたのが大日本帝国海軍でした。英国海軍をモデルにした日本艦隊は、食事を含む多くの英国式慣習を取り入れました。英国水兵たちは長期航海での保存食として、牛乳の代わりにカレー粉を使用していました。

日本海軍は栄養価と実用性からカレーを採用しましたが、小麦粉でとろみをつけ、パンではなくご飯にかけるなど日本風にアレンジしました。これが和風カレーライスの誕生です。

時が経つにつれ、軍艦でカレーを食べた元水兵たちがレシピを故郷に持ち帰りました。家族や地域社会に広まるにつれ、カレーライスは急速に家庭料理として定着していったのです。

インスタントカレーの台頭:国民食への道
食品技術革新がもたらした変革
20世紀に入り、食品加工技術の進歩と都市化によりカレー人気は急上昇しました。都市部が拡大するにつれ、手軽で安価な食事への需要が高まり、インスタントカレー製品の開発につながったのです。

1929年創業の阪急百貨店も普及に一役買いました。同店は近代的な小売文化を導入するだけでなく、デパ地下で西洋風料理(カレー含む)を広める役割を果たしたのです。

ルーの革命
カレー普及における画期的な発明がインスタントルーです。1950年、エスビー食品がカレー粉・小麦粉・油脂を固めた市販ルーを開発。計量や調合の手間が省け、家庭で簡単に作れるようになりました。

後にグリコがチョコレートバー型の分割可能ルーを開発し、利便性がさらに向上しました。

1970年代までに学校給食にも採用され、日本食文化に不可欠な存在となったのです。
日本カレーの特徴
独特の味わい
インドやタイカレーに比べ、日本カレーはマイルドでとろみがあり、ほのかな甘みが特徴です。この味を生み出す要素は:

- 出汁-水の代わりに出汁を使用し深みを加える
- リンゴや蜂蜜-ハウス食品が導入したフルーティーな甘み
- 乳製品-クリーミーな口当たりのために牛乳やヨーグルトを追加
- オイスターソース-うま味を引き立てる隠し味
「カレーの三位一体」
伝統的な日本カレーに欠かせない3種の野菜:
- ジャガイモ
- ニンジン
- タマネギ

これらの食材は保存性が高く入手容易なため定番化しました。興味深いことに、カレー伝来時期とこれらの野菜の普及時期が重なったことも要因です。
地域バリエーションと人気アレンジ
カレーライス以外にも様々な形態が存在:
- カツカレー-とんかつにカレーソースをかけたもの
- カレーうどん-カレー味のつゆで食べる太麺
- スープカレー-北海道発祥のサラッとした辛口
- ドライカレー-ソースなしの炒めカレー
- カレーパン-カレー餡を包んだ揚げパン

世界に広がる日本カレー
日本の食文化の影響力により、日本式カレーは世界中で人気を博しています。CoCo壱番屋やハウス食品などの企業が海外進出を果たし、グローバルな広がりを見せています。

結び:食事を超えた存在
日本カレーは、外来文化を独自に昇華する日本の力を体現しています。英国海軍由来の料理が、給食や家庭料理として定着する過程は、まさに歴史と革新の物語です。
次にカレーライスを口にする時、それは単なる料理ではなく、文化適応の結晶であることを思い出してください。
